一陣の風

 人気番組「プレバト」の毒舌先生こと俳人の夏井いつき先生のおかげで世は空前の俳句ブームだそうである。400字の「くさぐさ」が自分にぴったりの長さだと思っていた私も17音の魅力に取りつかれ、最近は歳時記も買って思いつくとノートに書き留める毎日である。
 夏井先生が選をされている「松山俳句ポスト」は誰もが投句出来る人気の俳句ポストで、私も先日一句だけ投句した句が運良く「並」選に選んで頂けた。
「山焼き」という兼題(お題)で詠んだ句がこちら。
    一陣の風よ憎悪の山を焼け
 いつまでも過去の暗い記憶を拭い去れない自分自身を持て余し、一陣の風よ、どうかこの愚かな憎しみの山を焼払っておくれ、という気持ちで詠んだものだが、ふと気づいたら最近は過去の記憶にさいなまれることが少なくなっているように思えて来た。
一陣の風とは私にとって「俳句」だったのかもしれない。
    探梅や思い出という深き場所

欲深し

 6月に応募した「オール読物新人賞」の中間発表が出ている。

本土では21日発売だが沖縄ではまだ発売されていない。

箸にも棒にもかからないと自分で思っていたにもかかわらず落ち着かない。

せめて一次予選に通っていやしないか、奇跡的に二次に通っているということは、などという甘~い期待が脳裏を駆け巡る。

 あぁ欲深し、隣は何をする人ぞ。

メダルなし

 応募した一作目は落選。ぺらぺらの封書が届いた。

がっかりはしたけれど、まぁそうかな、と納得する部分もある。

自分では好きな作品なので冊子に仕上げて関係者各位に配ろうと思っている。

四作目も構想は出来ているので書き上げてまた何かの賞に送りたい。

挑戦することに意義がある!

書く。

 三つの短編を書き上げてそれぞれの応募先へ送る。

 第一作の結果は来月わかる。

自分では好きな作品だけれど、第三者の評価は全くわからず、期待と落胆の谷間で揺れる。いい結果が出るといいなぁ。

 二作目は締め切り間近に大慌てで書き上げて、全く自信が無いまま送り付けたが、ある程度のところまでは残ってほしいという欲が出て来る。

 三作目はまだ清書中。出来たら知人の高齢男性に送って読んでもらうつもりでいる。この締め切りは九月なのでまだ手を入れる時間が残っている。

 今構想中は初の長編で、11月が締め切りのもの。途中で挫けずに最後まで書くことを自分に課したい。

お父さんの負け

 深い深い森の始まりの地で、9歳の少女トリシアの試合は開始された。ボストン・レッドソックスのリリーフ・ピッチャー、トム・ゴードンとの空想での会話だけを心の支えにして原野からの脱出を試みようとする9日間にわたる少女の決死の冒険を描いたスティーブン・キングの小説「トム・ゴードンに恋した少女」を思い出した、7歳の少年の遭難騒動だった。少年は6日間何を考えて過ごしていたのだろう。

 ニュースで知るところでは、心身共に比較的元気で発見されたということだから、かなりの気丈さだと舌を巻く。愛情を持って育ててきたとおっしゃるのは本当だろうと思うので、予想外の大ごとになってしまったのは気の毒だったが、この試合、お父さんの負け。

 しつけのために置き去りにした、という第一報を聞いた時、「その気持ちわかるなぁ」と私は思ったし、我が身を振り返った親御さんも多かったはず。少年とお父さんの生涯の笑い話になってほしい。

                                            (沖縄タイムス くさぐさ:2016.6.14)

 

変わる人

  時の流れと共に人生の登場人物はそれぞれの立ち位置を少しずつ変えて来る。
 最近とみに感じるのは身内の人々の老いである。今まで自分が見上げていた人々が、いつの間にか庇護されるべき弱い部分を持つようになっている。
 歩くのが遅くなり、好物だったものを美味しく頂ける歯が少なくなり、物忘れがひどくなり、話のつじつまが合わなくなってくる。
 そんな現実に引きずられて、その人がその人らしくあった時の姿を忘れてしまうとしたら、それは年下の人間の未熟さと言うべきだろう。
 年をとると自然に死ぬことが出来た時代はとうに過ぎ去り、今を生きる老人には過酷な日々が待っていることも多い。それを目の当たりにするとこちらの感情も振り廻されてしまいがちだが、せめて優しいまなざしを忘れたくないと思う。

 人は変わる。変わっただけなのだ。変わる前のその人は確かにいたのだ。

自由になる

 最近、小説を書いている。

 私が初めて人に読ませるために小説を書いたのは18才の時で「小説ジュニア」という雑誌の新人賞に応募した「ふり向けば風」という70枚くらいの作品。

当時流行っていた布施明の「シクラメンのかほり」をテープで繰り返し聞きながら創作の世界に浸った。

 それから小説を読むことは好きでも自分で書こうと思うことは一度もなく40年の月日が流れた。

 そしてふとしたことから「沖縄タイムス」の女性投稿欄に400字エッセイを送って何度も掲載してもらうようになり、これが転機となった。

昨年10月に亡くなった母の最期をどうしても書いておきたいと思い、30枚の短編にして高齢化社会をテーマにした文芸賞に応募した。

結果がわかるのは8月だが、自分としては納得の出来だったので、かえって結果は意外にもあまり気にならず、次に進もうという気になっている。

 今、BGMにしているのは古謝美佐子さんの「家路」。とてもいい。

そして何だか最近、心が自由になってきているのを感じている。

長いこと苦しめられてきた義関係の人々との軋轢から少し解き放たれて気持ちが楽になっているのだ。

 書くことは自分の中に入り込むこと。そのことが思いがけず私を救ってくれているようだ。40年前の私もきっと書かずにいられない何かを抱えていたのだろう。そして救われていたのだと思う。

 これから私は自由になります。