素敵な桜坂
沖縄に移ってから恩恵を受けているのが那覇市の桜坂劇場だ。シネコンでは上映されない良質な映画を毎月提供してくれている。お気に入りの読書サイトで桜坂劇場の話をすると、原田マハさんの「風のマジム」を読んだ人から「桜坂劇場って実在するんですね!」とよく声をかけられる。主人公が桜坂劇場のカフェに入り浸っているからだ。時間に余裕のない私は午前中に劇場と駐車場の往復しかしていないが、噂に聞く夜の桜坂のディープな雰囲気を想像してみたりする。先日見た地元制作の番組では地名の由来や名物ママさんなどが紹介されていて面白かった。沖縄発ドラマ「桜坂。」なんていうのがあってもいいと思うがどうだろう。
桜坂という坂は本土にはたくさんあることと思うが、桜の木が数本しかない桜坂はきっとここだけだ。夜の桜坂に足を踏み入れる機会はなかなかないので、常連さんのお話など伺うことが出来たら嬉しい。ぜひくさぐさに投稿してください。
(沖縄タイムス:くさぐさ 2015.8.26)
沖縄生活3年目
要介護の夫と息子夫婦の住む沖縄に移って3年目になった。エアコンを入れたリビングからドアの外に出ると、蝉の声がにぎやかで青い中城湾に白い船が浮かぶのが見え、夏休みの旅行に来ているような気持ちになる。
私なりの沖縄ハイ&ロー。まずローから言うと四季を感じられないこと。リビングから見える景色が一年中変らない。桜や紅葉や雪がたまらなくなつかしくなる。次にハイ。沖縄の人々は親切だと思う。シャイなのか初めは無愛想に感じることもあるが、こちらが心を開いていくと皆さんとても優しくして下さる。
大きな局面に立たされている沖縄に今現在暮していることを無駄にしたくないと思う。
本土の友人に聞かれた時に正しい知識で答えられるように勉強しなくては。幸い沖縄の図書館には資料が豊富にそろっている。3つの図書館を利用してたくさん本を借りている。本紙「唐獅子」では川端明美さんに何冊も本を紹介して頂き世界が広がった。
(沖縄タイムス:くさぐさ 2015.7.8)
ファーストネーム
介護保険を使う側になると、要介護者を中心に、主に世話をする役割の人とケアマネージャーや福祉用具の事業所やデイサービス・デイケアの施設スタッフ等で一つのチームを組むことになる。その場合、「ご主人」とか「奥さん」とかいった呼称は使われずファーストネームで呼ばれることになる。私の場合だとケアマネージャーから「めぐみさん」と常に呼ばれるわけである。
金井美恵子氏の「お勝手太平記」の中で家政婦の杉田さんが「奥さんというのは通りのよい符牒で、呼ぶのも呼ばれるのも面倒臭さがなくてあっさりした通り一ぺんの関係ということがお互いによくわかっていいじゃありませんか」と意見を述べているが同感である。 介護チームのお仲間を通り一ぺんの関係と言ってしまうのもどうかとは思うが、だからと言って特に友情で結ばれているわけでもないのだから「めぐみさん」は落ち着きが悪く「欧米か!」と言いたくなるのです、スミマセン。
ソウルメイト
「カフェ・ド・フロール」を観た。輪廻転生がテーマの話だ。1969年と2011年という短い期間で生まれ変わっていることがなんだか中途半端のような忙しないような落ち着かない気持ちにさせられるが、あのような断ち切られ方をされた三人なので魂の叫びが引き寄せた次の世なのかもしれない。
生まれてから死ぬまでが人生ではない。この考え方はある意味人を救うものかもしれない。他人にかけるには無責任な言葉でも、自分の苦しみを逃す道の一つにはなり得るのではないだろうか。
許すことの出来ない怒りや忘れられない悲しみ。現世では解決できなかったかもしれないがそれでもいいのではないか。
いつか。どこかで。そう思うことが私には救いとなる。
二度目の恋を
桜坂劇場で「トレヴィの泉で二度目の恋を」を見た。こんなしゃれたラブストーリーが日本の風土で、まして後期高齢者間で起こるとは考えにくいが、私の父は昨年83歳で二度目の結婚をした。お互い長い間の一人暮らしを経ての同居なので、うまくいくのかと危ぶむところもあったが、そこはさすがに大人の知恵を持ち寄ってなんとかうまくやっているようだ。東京と沖縄と離れて暮らす娘としては、父の再婚は心配より安心感が上回っている。
世界でも例を見ない高齢化社会の一途をたどるこれからの日本で、幸せな高齢者として生きていくには心を柔軟にしておくことが大切だと思う。偏屈なじいさんだったフレッドがお茶目なおばあさんのエルサによって一歩ずつ踏み出していく(80歳から!)姿は、よく言われる人間は何歳からでも変れるのだという言葉が嘘ではないことを教えてくれる。
父と伴侶のこれからの人生が柔らかな良いものでありますように。
(沖縄タイムス:くさぐさ 2015.4.20)
2011年以降
なんとかかんとか数学の勉強を続けていこうと思っていたが2011年12月に夫が脳梗塞で倒れて重度の後遺症を残す身となり、そのまま数学からは遠のいている。夫が入院中にはヘルパー2級の勉強をして資格を取った。毎回テキストからのレポート提出もあり、それなりに勉強の雰囲気は味わえた。
私がヘルパーとして仕事をすることはないだろうが、夫を介護していく中で介護事業を提供する側を見ておくことはいいことだと思うので、実習も含めてヘルパー養成講座はためになるものであった。実習先は介護付有料老人ホーム、デイサービス施設、そして訪問介護事業所の三か所、私の資質としては訪問介護が向いていると思う。事業所のヘルパー先輩方は皆さんきびきびと楽しそうに働いておられてなかなかのものだった。訪問時間が以前より短縮されたとかで、自分がやってあげたいと思う内容に追いつかないというジレンマがあるようだった。
ヘルパーの需要は今後ますます増えていくだろうが、それなりに人材は淘汰されていくのだろう。