メッセージ

 

 桜坂劇場で「メッセージ」を観た。

「グソーや雨垂いぬ下」あの世は雨垂れ、軒下ほどのそばにあるという意味だが、同じような言葉をクリスチャンだった母から聞いたことがある。

「死ぬということは襖を開けて隣の部屋に行くと同じこと」。

 映画は沖縄戦の末期に壕の中で母親の手にかけられて命を落とした幼い女の子の話だが、現代社会の中では親からの虐待で亡くなる子どもが後を絶たない。

 先ごろ亡くなった母は

「親に愛されなかった子ども達をかわいそうと悲しまなくてもいいのよ、あの子達は今は神さまの庭で本当に楽しそうに満面の笑顔で駆け回っているのだから」とも言っていた。

 自分の非力を感じることはたくさんある。

 救えなかった命を思う時、「生まれてから死ぬまでが人生ではない」と考えてみると、少しだけ心が解放される気がする。

 それにしても雨垂れの音を聞く能力の無い私、亡き母も犬も猫も誰も訪ねて来てくれないのです。

        (沖縄タイムス くさぐさ:2016・4・19)

世界の終りとハードボイルドワンダーランド

 村上春樹様の小説で一番好きなのは「海辺のカフカ」だが、今書こうとしている自分の物語の栄養として、「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」を読み返した。何度読んでも傑作だし、春樹様は天才だと思う。

 「意識の底の方には本人には感知できない核のようなものがある。僕の場合はそれはひとつの街なんだ。街には川が一本流れていて、まわりは高い煉瓦の壁に囲まれている。街の住人はその外に出ることはできない。出ることができるのは一角獣だけなんだ。一角獣は住人たちの自我やエゴを吸いとり紙みたいに吸いとって街の外にはこびだしちゃうんだ。だから街には自我もエゴもない。僕はそんな街に住んでいる」

「僕は自分の勝手に作り出した人々や世界をあとに放り出して行ってしまうわけにはいかないんだ。ここは僕自身の世界なんだ。壁は僕自身を囲む壁で、川は僕自身の中を流れる川で、煙は僕自身を焼く煙なんだ」

 

 脳の半分が傷ついて自分が作り出した街から追放されてしまったのが、今の夫の状態なのだろうか。それは自我のない平和な世界なのだろうか。

初対面の旧友

 私が沖縄に移る時に、母校の恩師から「恩納村に20年前に移住した後輩がいるよ、連絡してみたら」と教えて頂いてから3年、本人と「ぜひ会いましょう」と言い合ってからもなんと1年が過ぎ、その間に恩師の急逝という事態にも見舞われたが、やっと彼女と恩納村のカフェで会うことができた。

 10才年も離れ過ごして来た日々に違いはあるが、同じ学び舎で青春を過ごした者同士、すぐに打ち解けて話題がつきることもない。母校の持つ個性を今でもたっぷりと身につけた彼女はチャーミングで、お互いのこれからの夢や進んで行きたい方向などについて気負いなく話し合える友達に久しぶりに会った気がした。

 母校の創立者、西村伊作先生が戦後間もない頃、粗雑な紙に書いて掲示板にピンでとめていたという言葉 『みっともないことしないでね』

 学生当時は響かなかったその言葉が身にしみるようになってからの、初対面の旧友との素敵なひとときだった。

        (沖縄タイムス:くさぐさ  2016.2.10)

猫を猫と呼ぶ

 フランス語で "Appeler un chat un chat" 直訳すると猫を猫と呼ぶ。 ものを率直に言うことのたとえだ。先日亡くなった母は猫を猫としか呼べない質の人で、おそらく私もそのタイプだが、母の4歳上で今88才の伯母は少し違うように思う。この伯母とは数年前に私の夫が伯父(故人)と同じ病を得たことから心を開いて話すことができる間柄となり、私の中で大きな存在となっている。華やかな職業婦人だった私の母の陰に隠れて地味な印象だった伯母が実はとてもクレバーでユーモアのある女性だったことに気づいて私は彼女に憧れている。猫を猫と呼んで当然だった母は崇拝されることもあるが嫌われることも多い人で、それを私は好きではなかったのに最近は似てきていると指摘されたりもするので要注意だ。伯母ならば「おとなしい虎」とか「可愛らしいライオン」とか言えるのだろうか、それともやっぱり「猫は猫よ」と笑うだろうか。

    

     (沖縄タイムスくさぐさ:2015.12.30)

 

母との別れ

 「神様私は罪びとです。自分で自分を救うことはできません。」そう言って23年前に洗礼を受けクリスチャンとなった母は、先日神のみもとへ安らかに旅立った。

 私もまた罪びとで、人を憎む気持ちから逃れることができず、母の死を悲しむより先にそのことにとらわれ疲れている。人を憎むということは母が最も嫌うことだったから、きっと今の私を見て嘆いているに違いない、そう思いながらも私は自分を救うことができずにいる。

 そんな私を今慰めてくれているのは俳句だ。17文字に凝縮されたこの世の美しさや悲しさがしみじみと心に分け入ってくるのだ。母もまた俳句を愛していて体調を崩すまでは句会に通い楽しんでいた。母の辞世の句は「それぞれに秘することあり桜散る」というものだ。秘することはあったにせよ、間違ったことは何一つしてこなかった母は本人も確信していたように天国で楽しく過ごしているに違いない。遺された私の慰めである。

        沖縄タイムス:くさぐさ  (2015.11.17)

11月7日

 沖縄在住の作家・恒川恒太郎さんの作品に「秋の牢獄」という小説がある。何故かわからぬまま来る日も来る日も11月7日を繰り返すことになってしまった人々の話である。何やっても次の日の朝にはすべてがリセットされて11月7日がやって来る。ある人はおいしいものを食べまくり、又はぜいたく旅行のし放題、片や恨みをはらすことに明け暮れる人もいるが、何をしてもそれはその日限りのことなのである。これは「牢獄」に違いない。

 この話を読んだ時、高級有料老人ホームの話を思い出した。好きな食事が選べる豪華なレストラン。趣味が楽しめるように用意された、さまざまなクラブ。「それでも利用者の方は満足されないのです」と支配人は言う。

「皆さん、次はおっしゃるのです、人の役に立つことがしたい、と」。これを聞いた時、人間の本質に突き当たった思いだった。「誰かの役に立ちたい」こう願った時、人は11月8日に進むことが出来るのかもしれない。

ファミリーツリー

 東京で一人暮らしをする83才の母が末期のガンとわかって1年になろうとしている。要介護の夫がいる私を気遣って、あなたは来なくていいからと言われ続けてきた。「ひとりでぽかーんとしているのが楽なの」という言葉の半分は本心だろうと思うくらいに自分にも他人にもきびしい人だった。ここ最近症状が重くなり、車で1時間ほどの距離に住む弟の話しぶりも緊迫してきたのを感じ、夫を施設に預けて東京に介護に向かうことを決断した。「いいって言ってるでしょ」と断られるのを覚悟で母に伝えてみると、「来てくれるの、うれしい」という返事が返ってきて驚いた。

 母とは波長が合わないことも多く、若い頃は心を閉ざして打ち解けなかった。言いたいことは今でも山ほどあるが全部忘れてこれからの日々は優しさだけで向き合おうと思っている。喪われていく命があっても、きっとこれから受け取る命もある。ファミリーツリーは繋がっていくと信じている。

    

      沖縄タイムス:くさぐさ  (2015.9.28)