災害時に備えて

 夫は脳梗塞の後遺症で右半身の麻痺と重い失語症という障害がある。高次脳機能障害もあり他人とコミュニケーションをとるのが難しいので災害時に避難しても避難所での生活はとうてい無理だと思う。幸い高台にある新築のマンションに住んでいるので外に避難するより自宅非難が賢明だという判断が出来るのが有難い。

 飲み水と食べ物、トイレの問題が保障されれば自宅非難は出来る。これらの備えを十分にしておくことで私の心配は大幅に軽減された。唯一の懸念は火事になった時だがそういうことを想定して悩むのも善し悪しだと思うので、考えないことにする!

私のパソコン履歴

 生まれて初めてパソコン(当時はマイコンといった)に触ったのは、新卒で勤めていた会社でワープロを使いこなせるようになってしばらくしてからだ。会社の近くでパソコンの講習会があり参加した。1とか2とかを使って何かのプログラムを作る作業だったが面白いと思った。すぐに妊娠出産をして社会から離れてしまったのでパソコンとは無縁の日々となった。

 その後パソコンフォーラムなどというものが登場して、いいなーいいなーと思っていたが実際にパソコンが手元にやって来たのは20世紀も終わりに近づいた頃だった。インターネットに初めて接続した時は嬉しかった。

 まず最初にインターネットから世界に出て行ったのは、女性だけのチャットルームでHNはぽんこだったがここは大人気の大所帯でそういう場所にはつきもののトラブル・内輪もめが発生し、閉鎖。その後に出会ったのがカテストと呼ばれた「家庭のストレス回収します」というサイトで私の人生を大きく変えるものとなった。そこでのHNはのばら。楽しくて楽しくて毎日朝から晩まで暇さえあればのぞいてはのめりこんでいた。当時私の子ども達はちょうど高校生になろうかという年齢で、これがもし幼児だったとしたら、私はネットにのめりこみ育児放棄する母親になっていたに違いない。大学受験を控えた高校生の子どもの動静や成績よりも私にはカテストでの交流の方が大事だったのである。

 そしてこの一世を風靡したサイトもその人気がゆえに閉鎖への道を辿ることになり、集っていた人々は解散を余儀なくされることとなった。しかしその前に私は自分のサイトを立ち上げていた。全くの素人だった私はプロのお兄さんに最初の設定を依頼し(2万円だった)その後はカテストで知り合いになった実力者達の力を借りてサイトの体裁を整えていったのであった。

 こうして2000年3月に開設された私のサイトに集まってくれたメンバーのうち、かなりの割合の人と未だ楽しくお付き合いをしている。小さかった子ども達は結婚したり就職したり、当時は影も形も無かった子どもはが学生になったりしている。機会があれば実際に会うこともあるし、会わないまま友達でいる人も何人もいる。数年前に執拗なスパム攻撃にさらされ元々のサイトは閉じてしまったが今も違う形でネット上の付き合いは続いている。以前と違ってサイト作りは格段に易しくなっているしブログも数多くあり本当にいい時代だと思う。

 現在もお付き合いしている10人ほどのメンバーは大切な友達であり、皆もそう思っていてくれるのが嬉しい。私が還暦を迎える年に、オフ会をしよう!というのが今の楽しみな展望である。

マディソン郡の橋

 TSUTAYATVで購入し、20年ぶりくらいに再鑑賞した。原作も読んだけれど、映画の方が良いと思う数少ない作品だ。主人公のフランチェスカよりも年上になった今見ると、田舎の暮らしの美しさと悲しさが映像と相俟ってしみじみと伝わって来る。以前に観た時は大いに感情移入して雨の別れの場面では嗚咽するほど心が震えたものだが、今は淡々と見ている。私の中の何もかもが遠くなったということか。

 映画感想サイトで発見した面白い感想を無断拝借する。

『10代の頃に見た「小汚いオッサンとオバサンの地味でつまんねー恋愛映画」は、30を越えて再見した今日、涙と鼻水で前が見えなくなるほどの破壊力をひっさげて帰ってきた。』

わかるなー。更に20年たつと静かな気持ちで観られると思うよ。そして更に20年たった時にどういう気持ちで観ることになるのか、ちょっと楽しみである。

 

エドワード・ホッパー「朝の日ざし」

 このブログは最終的に活字の本にすることを目的に書いているもので、本にする時の表紙に考えていたイメージがある。月の光に照らされた部屋のベッドで一人の女性が静かに腰かけ窓の外を見つめているというもの。その構図とほとんど同じ印象の絵を夫を連れて行った散髪屋さんで偶然手に取ったアメリカ画壇の画集で見つけた。エドワード・ホッパーの「朝の日ざし」である。解説によると、彼が描く孤独な人物像は物思いに沈んで引きこもり人間関係を絶っている。彼の描く輝かしい澄んだ光は明るいが決して暖かくはない。

 確かに月光に照らされているというイメージにはセンチメンタルな甘さがあるが、この絵の朝日には更に厳しい孤独が感じられる。何処かの都市に出かけてホテルに泊まり、朝、カーテンを開けた時にこんな感じを受けることがある。出来たらこの絵を表紙に使いたいな。彼の画集も図書館で探してみよう。こんな風に世界が広がっていくのは楽しい。

そして誰もいなくなった

 父も母も生きている。何人かの叔父もたくさんの叔母も皆生きている。義理仲の親戚も多い。それでも今は私がトップだ。たくさんの問題が私の肩にかかり、選択し決定しなければならないことが多くある。誰も助けてくれない。誰にも相談出来ない。そうぼやいたら息子が「そんなことないよ、僕に言って」と言った。有難いけれど、息子は息子、私が頼る相手ではまだない。あと10年したら頼ってもいいかと思えるかもしれないが、今はまだ私が守っていると実は思っている。

 年をとることを嫌だとは思わないが、どんどん孤独になるんだな。みんな生きているけれど誰もいないんだな。みんなが命を終えた時、孤独から解放されるのかな。

 今、誰かがそばにいて話を聞いてくれて優しい言葉をかけてくれたら、きっと私は騙されるに違いない。

ドアが開いてるよ

 ふとしたことに触発されて過去の嫌な思い出がよみがえってしまうことがよくある。なかなか気持ちを切り替えられずにずるずる引きずってしまう性格だ。何かで読んだことがあるのだが、人間の脳は悪い思い出を強く残しておくものらしい。同じ失敗を繰り返させない為らしいが、何かというと嫌な思い出が立ち上ってくるのは嬉しいものではない。
 先日の「徹子の部屋」にプロゴルファーの宮里藍さんが出て、メンタルトレーニングの話をされていた。ゴルフのように強い精神力を必要とするスポーツは直前のプレーに引きずられてしまってはいけない。失敗してしまったり悔いの残るプレーだった時は「ドアを閉めて鍵をかけてその鍵をぽいと捨てる」。具体的にイメージして進むのだがそれでもうまくいかない時はキャディさんが「ドアが開いてるよ」と注意してくれるそうだ。私にはキャディさんがついていないから自分で自分に声をかけよう。「ドアが開いてるよ」

        (沖縄タイムス:くさぐさ:2015.3.4)

私の行動範囲

 住んでいる町の図書館。息子が住んでいる市の図書館。県立図書館。たまにブックオフ。たまにジュンク堂桜坂劇場。これらをぐるぐる廻っている。

本は三度の飯より大事だけれど、読み返すということはなかなか無いので図書館本を大いに利用している。町の図書館は品揃えがイマイチで本があるべき場所に収まっていなかったりするが、話題の本は比較的早く入り、予約数もかなり少ないので楽に読むことが出来るのがいいろころ。最近開拓した県立図書館はさすがに蔵書数が多くて楽しめる。

 昨日は久しぶりに近くのホームセンターに行った。開店直後だったのですいていて楽しかった。洗濯物干しとフライパンを新調し、多肉植物の鉢をいくつか買った。これだけでなかなか気分転換になり、十分幸せだった。